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2019年09月04日

【校長ブログ】伝説の「赤き血のイレブン」松本暁司先生を偲ぶ

 浦和南高校で高校サッカー史上初の高校総体、国体、全国高校選手権大会三冠を成し遂げられた 松本 暁司 先生がご逝去されました。浦和南高校創立の昭和38(1963)年4月から平成7(1995)年3月まで浦和南高校に32年間ご勤務され、着任1年目からサッカー部監督として活躍され、昭和42(1967)年に埼玉国体で優勝、昭和44(1969)年には高校サッカー史上初の三冠を成し遂げられ、昭和50(1975)年、51(1976)年には全国高校選手権大会連覇を達成されました。

 埼玉県体育協会(現在の埼玉県スポーツ協会)では、国際・国内競技会において、特に傑出した競技成績、成果を収めたチーム・団体に「栄光旗」が授与していますが、浦和南高校サッカー部は、昭和44(1969)年、昭和50(1970)年、昭和51(1971)年と3本「栄光旗」をいただいています。埼玉県内で同一団体が3本の「栄光旗」をいただいている団体は他にはありません。

 特に、昭和44(1969)年の浦和南高校の三冠達成は今でも語り草になっています。高校総体埼玉大会決勝で、浦和市立高校(現在のさいたま市立浦和高校)を7−1で勝利した 松本 暁司 監督の率いるイレブンは、高校総体、国体、全国高校選手権大会の3全国大会において「抽選勝」のない全勝の完全制覇でした。圧倒的な強さで前人未到の偉業を果たし、県立浦和高校、県立浦和西高校、浦和市立高校(現在のさいたま市立浦和高校)につづく盟主誕生を強く印象づけました。

 浦和南高校の校長室では、全国高校選手権大会優勝のサッカーボールブロンズ、3本の「栄光旗」、そして 松本 暁司 先生をモデルにした梶原一騎原作「赤き血のイレブン」を展示して敬意を表しています。奇しくも 松本 暁司 先生の告別式当日、告別式会場に隣接する浦和駒場運動公園では高校サッカーさいたま市民大会南部支部大会が開催され、浦和南高校サッカー部も出場します。当日は、サッカー部員は腕に喪章をつけ全力でプレーをします。松本 暁司 先生の御冥福をお祈りいたします。

 

松本 暁司「浦和南高校サッカー20年」

 昭和38(1963)年4月、在職2年目の埼玉大学附属中学校を、あえて苦労を覚悟で転出することに踏み切った動機は、当時の浦和市教育長須藤多市先生が、サッカーの猛烈なファンであって、その誘いを受けたことが最大の原因であった。

 その折、須藤先生が言った印象的言葉が二つあった。一つは、浦和南高校のサッカー部を早く日本一にすること。もう一つは、学校の中で一人でよいから恐い教師になれと言われた。浦和市立常盤中学校(当時)体育館を6つに仕切った仮教室から授業が始まり、グランドも常盤中学校と、埼玉大学針ヶ谷グランドを借用しながらだった。現在の校地へ移転した1年後でも、南棟だけで、グランドはまだなかった。

 開校当時の5年間くらいは、涙ぐましい辛い苦しいことが山ほどあったが、その間、昭和42(1967)年の埼玉国体の高校の部における優勝と、南高がサッカー会場になったことで、一応学校らしくなったと思う。

 新設校としてスタート以来、情熱的な諸先生方の指導と協力体制で、その後は1年ごとに充実し、今日、先輩校に互して譲らぬ確固たる地を築き、優秀な人材を掘り起こし、鍛えてきた。それは、浦和南を志望する小・中学校生、保護者、中学校の先生方、浦和市民にも信頼を得た。昭和51(1976)年の全国優勝の浦和駅頭での大歓迎は、サッカーのまち浦和とはいえ、地域社会と高校スポーツが、いかに密着しているかを示した現象だ。

 続々と選手たちは浦和南の門をくぐっては、それぞれ次の扉をたたき、翔び立っていった。トップレベルの人材は、即戦力となり、大学、社会人チーム、そして国際舞台で活躍している。スポーツの世界にも、素晴らしい組織があり、人間関係の繋がりがひろがっている。

 私は、この20年間で高校スポーツは、世界を知る登龍門であることを知った。それを自分自身で予想だにしなかったN選手が、サッカーの世界の貯えられた伝統ある文化に触れ、初めてサッカーの道の尊さと感動を体験し、益々前向きに挑戦しようとする決意に、胸を熱くしているのである。

 サッカーは、一人では成立しない。他のメンバーの協力によって、はじめて自分の能力が最大限に発揮される。したがって、自分も他の選手に協力する奉仕者でなければならない。互いに持っている力を発揮して、ゲームとして勝つという喜びが得られる。勝利感は、人間の本能的欲求だ。しかし、そこには人間がプレーするスポーツとして、崇高なモラルの上にのっとったルールがあり、フェアプレーが基盤であることが、真の勝利者であろう。南高サッカー部の栄光には、この輝かしい勝利の感動があったことを忘れることはできない。

 最近の南高サッカー部は弱くなったと言う。その理由は、「鬼マツ」が優しくなったからとよく聞く。須藤先生の恐い先生になるイメージをもう一度再現しなくてはならない。私自身は変わらないつもりだが、指導法に何か工夫と進歩を見出し、勝利への不安を吹き飛ばす、精神力を叩き込むことに頭がいっぱいである。

 そして今ここに、南高の学び舎で育った選手の中から20年目にして、初めて南高教諭として、今春筑波大卒のサッカー部選手だった野崎正治君を迎えることができた。このことは言うまでもないが、現在も将来も、南高生にとって大変意義あることであり、他教科にも是非南高生OBが迎えられるように希望している。

(『埼玉県浦和市立南高等学校20周年記念誌』1982年)

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